「報連相なんてムダ!」についてちょっとだけ考えてみた。

モチベーションは楽しさ創造から」さんにこんなエントリーがあった。

これら上司側、あるいは会社側の問題の為に「報連相」を要求している部分も多分にあるのだと思いますね。その為、必要以上の「報連相」を部下に私達は要求しているかもしれません。

問題は必要以上の「報連相なんだなぁって思った。
自分を振り返ってみると、何が必要で何が不必要なのかが報告を受ける側で明確にできてないってところ。
だから「とりあえず詳細な報連相を要求」して、その中から随時判断して必要な部分を拾い出してる。

これは、もう報告受ける側のスキル不足以外何物でもない・・・・
いや、マジで自分自身を見てもそう思う。

  • 部下を子供扱いしてしまう。部下に明確に権限委譲をしていない。「任せる」という事が下手。
  • 権限を任せられて仕事をしたとき、「成果を出した際の責任」と「成果を出さなかった時の責任」がはっきりしていない。うやむや。
  • 「部下に責任」をとらせる事がないから、上司は自分が責任をとらなければいけないと考え、上司は部下の細かなことまで口を出さねばならない

「口を出さねばならない」じゃなくて、「口を出してしまう」って感じ。
「上司は自分が責任をとらなければいけないと考え」ってのは実際責任を取るのは上司なんだけど、「責任を取るのは俺だから、全部俺がやる(指示する)」ってなっちゃうんだ。理想は「好きにやってみろ(その代わり進行状況や問題点は報告し、迷ったら相談しろ)、あとは俺が責任取る」なんだけどね(まぁ、たいていは無理)。

コメント欄にこういうコメントがある

しかし、スピードが要求される短期な案件で、まだスキルの未熟な部下の場合、こまめに報告・相談を受けないと、その案件がえらいことになってしまいます。

そのとおり!って感じ。
だけど、その次の案件もその次の次の案件もずっと同じ粒度での報連相を要求しちゃってるんだ。
「スキルの未熟な部下」は上司から見ると、いつまでも「スキルの未熟な部下」のままなんだよ。

ある時、突然その「スキルの未熟な部下」が「結構やる部下」と言う感じで認識が変わるときがある。

この「ある時、突然」を「徐々に」になるようにコントロールする方法を上司は身につけないといけない。
・・・とわかってるんだが、これが難しい。

必要な報連相を部下のスキルにより選別・明確にし、徐々に職務権限を委譲していく。
当然責任も付随する。最終的な責任は上司(の上司、の上司・・・で経営陣)が取るのだが、その職務内での責任は当然あるしね。

たぶん世の中で「できる上司」とか言われている人はこれができてるんだろうなぁ

と、「確かに一理!「報連相なんてムダ!」という外国人ビジネスマンの言い分」を読んでみてとりとめなく考えた事を書いてみた。